君が代君が代ってうるせぇなぁ

id:TERRAZIさんはどうもずれているのでトラックバックとやらを。
http://d.hatena.ne.jp/TERRAZI/20040407

卒業式の本質は確かに卒業生を送りだすことだが、では「卒業式に君が代を歌うこと」の本質とはなにか。それは学校という場を作っていただいた日本という国に感謝することであろう。F1の最初の君が代もサーキットという場を提供し、競技を許してくれたことへの感謝の意を表わすものだろう。

琢磨が優勝したときやサッカーで日本が勝ったときの連帯感のことを出しているが、これは愛国心とやらではない。ひいきのチームが勝ったときの奇妙な連帯感や、祝福の意を表したいが適当なものが無いため、敬意を表する歌として誰もが知っている君が代を歌うのだ。ひいきの野球チームが勝ったとき、君が代を歌うひとはいない。

いま、この国で愛国心とやらを持っている人間は極々少数派だ。こんなことは今、僕がこの場に書かなくてもほとんどの人は実感しているだろう。休日に国旗を掲げるとかもそうだが、選挙の投票率を見てもわかる。愛国心とやら以前に日本に関心が無いのだ。これでは日本に感謝するという発想まで行きつくわけがない。

では何故ここまで愛国心とやらは薄れてしまったか。それは愛国心は現状では自然に身につくものではなく、教えなければ分からないものからだ。こどもは回りをみて育つ。敗戦以前、愛国心とやらをもつ人間が多数派だった時代ならば愛国心とやらは自然に育っただろう。だが敗戦後愛国心とやらを持った人間は少数派となり愛国心とやらが自然に育つ環境ではなくなっていく。

さて、これを踏まえて各社の社説を読むと産経と読売は明らかにずれている。現状を理解していれば、あのような記事はできないはずだ。できないはずの記事ができるというときは、だいたい結論が先行しているのだ。卒業式における国歌国旗というわかりやすい、つまり喰いつきやすい題材だったことも影響しているだろう。

その点、朝日の記事は筋が通っているように見える。しかし、だからと言って賛成できる意見ではない。3年かけても愛国心とやらどころか全員起立の号令に従うことを教えることすらできない。そんな無能力な教師はとっととクビにして当然ではないか。