権利が存在するかどうかは置いといて。

僕は「ある個人史の終焉」を読んで、素晴しい文章だと思った。
自らの思いを伝えるために、何時間も費やし、苦心し、考え抜いた文章であることはすぐにわかった。
だからこそ、そのコンテンツを作り出した者の権利は尊重しなければならないと思った。
それと同時に、その素晴しいコンテンツ自体に対し敬意を払わねばならないと思った。
私には、全文転載などできない。作り出した者の権利は尊重しなければならないからだ。
敬意に値するほどの文章を、苦心して書いた文章を、一時の迷いで完全に削除しようとしている作り出した者に対し、考えなおしてはどうだろうかと勧めること、私に出来るのはそのぐらいだ。

心がまえ

ここから下の2章は、私が著作権に対して常日頃考えていることを文章化したものだ。
あくまで一般的な著作権の話であり、今回のことに言及するものではないこと、だからこそわざわざ章を分けて記述している。
「読ませない権利」に関して書くには、一般的な著作権まで書く必要がどうしてもあった。
しかし一般的な著作権の話まで記述する機会を与えてくれたid:TERRAZIに感謝したい。